I can't beat it.


マンチェスターバイザシーを観て。

前進できない時、取り残された気がする。周りの景色が目まぐるしく変わっていくように見える。普通の人からしたらどんな些細なことでも、前進できない人にとっては強烈なのだ。

人々に無言の応対を続けるケイシーアフレックを見て、時に魔が差したような笑いがこみ上げた。コメディー映画の脚本も書いていたロナーガン監督によって意図された繊細な演出なのだろう。鬱な主人公と彼の周りに配置された人々に流れる時間の相違がこの映画のリズムの肝になっているのだ。そこにクラシカルな美しい音楽が重なる事でこの映画は、一級品となっている。

 ショックな出来事が起きたとき、人は、誰かを拠り所にしてもう一度立ち上がっていくしかない。でも、この主人公の経験した出来事は、普通の人の辞書には載っていないだろう。そんな簡単に気が晴れてたまるか。とでも言うかのように主人公は、時に暴力を振るい。時に無言になる。厳しい潮流に逆らうかのように海辺の町でただひたすらもがき続ける主人公がいるのだ。そして父の死をあっけらかんと乗り越えてイケイケの生活を送る高校生との対比があることで、主人公の悲しみがより色濃く残るのだ。傷ついた主人公と甥の二人を乗せたボートは、ただひたすらゆっくりと海を進んでいく。

 死の宣告をしている時に、良い病気ってなんだと聞かれた医者が「水虫とかです。」と答えたり、救急隊員が救急車に担架を載せようとするとき中々入らなかったり、葬儀場でケータイ電話が鳴り出したり、妙にリアルな演出は、笑いを通り越して、シュールリアルの世界に突入していて、監督の作家性を感じさせる。

 こんな陰気くさい映画という人がいるかもしれないが、観るごとに僕の感動は増しているように思う。不思議なユーモアと音楽と海辺の綺麗な町に包まれたとてもとても暖かい映画なのだ。

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