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日英同盟

 1886年10月、紀州沖でイギリス船籍のノルマントン号が沈没した。イギリス人の乗務員全員が脱出したのに対し、乗客の日本人23人全員が溺死した。日本人乗客の死亡の責任を船長は問われたが、イギリス領事による裁判は、被告を無罪とした。従者からニュースを聞いた明治天皇は、怒りと悔しさがこみ上げてその晩、なかなか寝付けなかった。ようやく眠りにつくと、ある夢をみた。

気づくと明治天皇は、小さな島の白い浜辺にいた。彼は、島を小一時間歩き回った。浜辺をただひたすら歩いているとエレガントな赤いソファーに座る喪服を着た白人の老婆に遭遇した。老婆もなぜこの浜辺にいるのかわからない様子だったが、お互い自己紹介をした。老婆は、イギリスのヴィクトリア女王だった。喪服を着るわけを明治天皇は、ヴィクトリアに聞いた。ヴィクトリアは、夫が死んで以来毎日喪服をきているのだと答えた。ノルマントン号の日本人乗客の為に喪に服しているのかと思った明治天皇は、残念に思い先刻聞いたニュースについてヴィクトリアに説明した。ヴィクトリアは、「それはお気の毒に」と言うのみでなんら興味のない様子だった。ヴィクトリア女王にとって、アジア人とこうして対面して話す機会は初めての事だった。日本人に対して興味のなかったヴィクトリアであったが、西洋の服を纏い、立派な日本刀を腰に携えた明治天皇に対して好感をいだいた。二人は、国際政治について話し合い、お互いの見識の深さに興味を抱いた。そして二人は、共通の趣味があることを発見した。明治天皇は、短歌を書くこと、ヴィクトリア女王もソネットを書くのが好きだった。二人は、浜辺でお互いの詩を読みあった。程なくして、二人は、お互いが空腹である事に気づいた。食べ物らしいものは、島には見当たらなかったが、浜辺を二人で歩いていると一本のバナナの木を見つけた。木には、バナナが一房実っていた。二人は、バナナを食べたいと内心思っていたが、普段、食事は従者が用意するもので、木をよじ登って食べ物を取りに行くという行為には、お互い気が引けた。天皇とイギリス女王は、バナナの木の前でただ、黙って立ちすくんだ。程なくして、一匹の猿がやってきて、木によじ登ってバナナを食べた。しまったと二人は思った。猿がバナナを食べているのを固唾をのんで見ていると食べかけのバナナが2本、木から落下した。二人の空腹は、限界に達していたが高貴な二人が落ちた食べかけのバナナを食べるわけにはいかなかった。バナナの前で黙っている二人だったが、海の向こうから一隻の船が島に向かっている事に気づいた。二人は、助かったと思った。霧の中ゆっくりとやってくるその船を見ながら、二人は、浜辺で待った。しかし、船が近づいてきてある事に気づいた。その船の船体には、「ノルマントン号」と書かれていた。二人がこの無人島から生還する方法は、この船に乗船する以外にないように思われた。二人がこの幽霊船に乗船する事を決意したとき、明治天皇とヴィクトリア女王は、夢から醒めた。不思議な夢を見たと思った明治天皇とヴィクトリア女王は、日英交流を促進するように従者に促した。  1894年、日英通商航海条約が結ばれた。日本で初めて不平等条約を改正できた条約である。条約の記念にイギリスからウィリアムターナーが描いた一枚の絵が日本に贈られた。二人があの日に見た、風に吹かれながら島にゆっくりとやってくるノルマントン号にそっくりの絵だった。

文:青木優太

タイポ:酒井一馬

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