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三度目の殺人を目撃して

September 29, 2017

 

真実のために戦う本格法廷劇を久しぶりにみた。

映画を観てなにかを書こうと思うと、骨が折れる気分になる事があるが僕は、この映画を鑑賞したあと何かを書いてみたいと思った。1回目に観たあと、その事をある人に話した。でももう一度見なければと思った。今は、その2回目の鑑賞の直後である。

 

カメラを通して機械的に獲たイメージを人間の力で物語のように紡ぐ映画というメディアを人はどこまで理解しているだろうか。映画「羅生門」について僕の祖母は、昔こう言った「真実というのは、人の主観によって左右される」と。映画について何かを書こうとする時、自分が何を目撃したのかが分からなくなる時がある。そして、もう一度見ても自分の認識が本当に正しいのか自信がなかったりする。個人の主観や認識能力なんてそんなものだ。「三度目の殺人」中では、真実のために誰もが戦うが誰も真実を話さない。しかし、映画の中で必死に戦う人たちのエネルギーに押され、何かを書いてみたいと思ってしまった。僕は、評論を書くつもりは全くない。世の中全ての評論家は、エセ評論家だと思っている。裁判官が人を裁く事に限界があるように、人が何かをジャッジする事は、厳密には不可能だと思っているからだ。

 

2回目に鑑賞したとき、被害者の妻と娘のキッチンでの会話から、彼女たちのおぞましい葛藤を私は、想像してしまった。真実に関する全ての証言は、人間の深層心理を提示する事にもなるのだろう。そして、フォーカスのずれた画面のすみで安堵しているようにみえる人物や呆然としている人物達を観た時。真実とは、人々の連なりから生まれるものなのだとも思った。「歴史の教科書は、勝者が作る。」そんな生易しい言葉では説明できない。真実が生まれる行程は、本当に複雑なものなのだ。

 

そして、カメラという機械を通して作る以上、映画は、人のコントロールの域を出てしまう。偶然できた産物ともとれる何かに気づいた時、僕のテンションはあがる。この映画で言うと、重厚な法廷劇が繰り広げられる中、ふいに役所広司がみせるパンを美味しそうに頬張る人間味溢れる演技や、公園の木々などの生ものを捉えたカットが好きだ。なんだか分からないからだ。それが、映画を面白くする。それは、ドキュメンタリー畑を歩いてきた是枝監督だからこそできる人々や現実との親密に向き合う姿勢から生まれる演出だと思った。もちろん、あの二人の間にある窓の反射を使ったショットや3人が雪上で仰向けに横たわるカットで雪上に描かれている点線などのアイデアも好きだ。久しぶりに生きた日本映画を観た2時間だった。この真実の探求をぜひあなたも見届けてほしい。

 

 

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